孤独死なんて恐るるに足らず

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なんだか急に寒くなってきました (о`・ω-)(-ω・`о)ネー。そういえば、世間は三連休なんですね~。こっちは雨が降ってないけど、一雨ごとに冬に近づきますね。

昨日のお客様に、お土産を頂きました。「乳わらび」と書いて、「ミルクわらび」よっ!(* ̄^ ̄*)ふんっ(笑)
20151010_1-min
Wさん、ありがとうございます。今日のおやつで美味しく頂きました。

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孤独死なんて恐るるに足らず

先日のお客様が言いました。「私、孤独になりませんか?孤独死しないかと心配で・・・。」って。(-_-)

孤独を恐れる気持ちは分かります。1人で寂しいという気持ちも分かります。でもね~孤独も孤独死も「恐るるに足らず」なんですよ。

「恐れるに足りない」「恐るるに足らず」とは?
怖がったり不安がったりして忌避する程のものではない、実際は大したことはない、恐れるには値しない、といった意味の表現。

何気なく今日を生きていたら忘れがちになってしまいますが、人間、1人で生まれ、1人で死んでいきます。だけど、決して1人では生きてないんです。誰からの力や思いを受けて、今を生きているんですよね。

この方は、とても真面目な方で、自分が死んだ後のことまで考えて心配してました。自分の葬式は?自分のお墓は?自分の遺産は?両親のお墓は誰が?等々ね。

で、言いました。「そんなね、死んだ後のことまで考えなくていいんです!そんなの、残された誰かがやってくれます。」ってね。

死後のことなんて考えても迷っても悩んでも、どうしようもないじゃないですか。心配ならば、エンディングノートを書いとくとか公正役場に行って遺書を残しておけば、とりあえず生きてる間に出来ることは完了です。後は、残された人+天に任すのみ。

見えないもの・知らないものに人は恐怖を感じます。死後の世界を知らないから怖いだけであって、人が死んだらどうなるかなんて、死んでみなきゃ分からないってもんで。(笑)

誰一人もれなく「生」を経験する過程で「死」も経験するだけですから、恐れる必要なんて全く無い!とパナセさんは思うんですよ。

死への恐れは、生への執着じゃない?

これを書きながらフト思ったんですけど、多くの人が「孤独」や「孤独死」を怖がりますが、実のところ、「孤独や孤独死が怖い」のはなくて、「生への執着」を「孤独への恐怖」に置き換えているんじゃないかと思いました。

この人生において、「1人になるのが寂しい」と考えることは、「自分の存在価値が無くなることが寂しい」が隠された意味ではないかと?実は「死」を恐れているわけではなく、「今の自分の人生」に対しての不安ではないかと?

みんなね、「生きる意味・目的」を求めすぎなんですよ。「生きる意味」や「生きる目的」なんて無くていいんです。「生きる」ことそのものが目的で意味なんですよ。

生きていると、あらゆることで執着が生まれます。執着があるから、頑張れる面もあります。だけど、どれだけのモノや人に執着しようとも、死ぬ時は何も持っていけないですよね。持っていけるのは、生きた過程における思い(心)だけです。

愛する人を想う心が大切で、子どもを思う心が大切で、周囲の人への感謝の心が大切で、働けることへの感謝の心が大切で、今日まで無事に生きてこれた天運に感謝する心が大切で・・・。

死んだ後のことを考える暇があるなら、今日を今この瞬間を「幸せ」と感じられる自分になるように努力することが大切だと思うのです。心を大切に、今をせーいっぱい生きていれば、孤独であっても死を迎えても「恐るるに足りず」なものになると思います。

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