痛みに苦しむ姿を見て、因果応報を思う。

投稿日:2016/03/8  更新日:

父親の手術は無事に終わりました。手術時間は、6時間10分。午前中から病院に行き、病室に戻ってきたのは、午後6時すぎ。1日病院に缶詰で、何をしたわけでもないけど、疲れました。ほんと疲れました。

↓病院の9階からの景色。窓越しなので画質悪し。
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痛みに苦しむ姿を見て、因果応報を思う。

手術から戻った父親は、とても痛がってました。ガンの一部が骨にまで侵食していたので、内視鏡手術ができずに、肩甲骨の上辺りから脇腹まで、約30cm近く切り、肋骨2本も取ったので、傷が大きく、背中をつくことも出来ず、痛みに苦しんでました。

その姿を見て、「因果応報だなー。」と思いました。父親は、気に入らないことがあると、女(母)子ども(私や妹)に手をあげる人間でした。特に母親への暴力は、本当にヒドイもので、いまだに警察に通報しなかったことを、少しだけ後悔しています。

父親は、殴る蹴る理由を母親のせいにし、決して自分の非を認めず、自分のした行為も簡単に忘れていました。しかし、暴力を受けた人間は、決して忘れません。私も殴られ蹴られたことは忘れてません。

モノを投げつけられ、その破片で足にケガをした翌日、「そのケガはどうしたんな?」と聞いた父親には殺意さへ感じました。今でも、時折、その怒りが湧き上がってきます。

で、今回の手術です。痛みの少ない手術は出来ず、痛みの大きい手術になったことに因果応報を感じました。家族に与えた痛みが巡ってきたんだと思いました。まさに自業自得です。

「この世に生きてる間に、因果の精算をする機会が持てて良かったね。」とも思い、反面「ざまぁみろ」の感情もありました。私の中の鬼が笑いました。

この世だけが一生ではないと思ってます。

私は、「この世があるから、あの世もある。あの世があるから、この世がある。」と思っています。この世で精算できなかった因果は、あの世に持ち越すとも思っているので、父親は、自分のしてきたことで、私たち家族がどんな痛みや思いを持っていたかを、死んだ瞬間に全て理解し、反省と後悔と懺悔の闇に沈むだろうと思っています。

だから、この世に生きてるうちに因果を精算する機会ができたことは、ある意味、幸せなことだと思うのです。あの世にまで持ち越したら、もっと大変だろうし、また生まれ変わって、人間をやり直さなければならないですからね。この世に生きてるうちに、過去の悪事を上回る善事を行っていけば、死に方に違いが出てくるとも思っています。

他人の人生を死ぬまで見届けることなんて、なかなか出来ませんが、親なら見届けることが出来ます。多くの因果を作った父親が、この手術で永らえた生命をどう使って、これからの人生を善事で上書き修正をしていくのか?まったく変わることなく因果を残したまま死ぬのか?を見届けようとも思ってます。

私は、「人の一生は、この世だけじゃない」と思っています。この世に生きてる間は、いくらでも上書き修正が出来るとも思っています。過去がどうあれ、気づいた時から正しく生きる努力をすれば、この世の因果は精算され、この世でもあの世でも幸せになれると思ってるので、例え、鬼を抱えていても、今を正しく生きようとしています。

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