誰かが生きたがってる夜に

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NHKスペシャルを何気なしに見始めたら、震災から4年経ってから福島出身者の自殺者が増えているという番組でした。

福島出身者の自殺が増えている理由として、どこかの先生が「あいまいな喪失」ということを言われてました。以前のままの姿で、そこにあるのに戻れない現実が、心を蝕んでいるようだとのことでした。

番組冒頭にニコニコ笑顔の30代前半の若夫婦が出て、ナレーションで「この1年後、この夫婦は自ら生命を絶った。」に衝撃が走りました。

番組後半になって、この若夫婦の自殺に至るまでの経緯が、実のお母さんの取材を織り交ぜながら紹介されていました。この夫婦。震災から3ヶ月後に結婚したばかりの夫婦だったんですよ。

避難指示が解除となって、すぐに福島に戻り、以前のような普通の生活を求めて、頑張って生きようとしてたのに、なかなか上手くいかず、そんな時、父親代わりだった叔父さんが自殺したことで、何かがはずれてしまったようでした。

叔父さんが無くなって半年後に、お母さんが行きたがってた青森に一泊二日の旅行に行き、戻って数日後、皆が寝ている間に夫婦で車で山に登り、そこで亡くなったそうです。

まだ若いのに、なぜ死を選択したのか?なぜ、奥さんを巻き込んだのか?そこまで、福島に拘らなくても・・・と、福島の現実を知らない私からすれば、なぜ?なぜ?なぜ?しか出てきません。

同じ時を生きながら、感情や思考は全然違うものを抱えている人達。当たり前といえば当たり前なんだけど、あまりにも悲しくやり切れない思いが押し寄せてきます。

「何ができる?何もできやしない。」そんな言葉が引いては寄せ、だからこそ、私は私を幸せにしないといけなんだ!と、新たな決意が生まれてきます。

誰かのために何かをすることは簡単じゃない。死にたい人を救うのは簡単じゃない。何ができる?出来ることは、私という人間を幸せにすることだけ。

誰かが死にたがってる夜に、私は明日の約束のために眠る。誰かが生きたがってる夜に、誰かがひっそりと自分を殺す。

人は死ぬ。どうあがいても人は確実に死ぬのに、なぜ、死を選んでしまうのか?

人が人を殺してはならない。それは、自分を殺すも同じこと。自分(人)が自分(人)を殺してはならない。

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