この記事には広告を含む場合があります。記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
社会で活躍する女性を見ると嬉しくなるし、「私もガンバロ!」って気になるし、鑑定には女性が多く来るので、何かしらの刺激になればいーなーと思って、そうした人を見つけたら紹介するようにしているんですが、今日見つけたのは、誰もが知ってる「あずきバー」の井村屋グループの副会長さん。
井村屋グループにて、副会長に就任された中島さんは、23歳で結婚し、3人の子育てをしながら、アルバイトから副会長にまでなったそうです。>スゴイ!
あずきバー美味いよね!
スポンサーリンク
「生きていくことが亡くなった人への恩返しになる」
記事を読めば分かりますが、20歳の時に列車事故にあい、前の席に乗っていた女性が亡くなったことを知り、「なぜ自分が生き残ったのか?」と考えてる時に、お父さんからの手紙の中に「生きていくことが亡くなった人への恩返しになる」とあり、置かれた場所で一生懸命にやれば社会に役立てる。と気づいたそうで。
23歳で結婚後、家から近い井村屋にアルバイトで入り、経理担当ながらトラックに乗って配送もし、26歳で正社員となり、30歳すぎで営業も経験し、53歳で女性初の関東支店長になり、2017年に同社で初の女性副社長に就任し、4月1日付で副会長に。
これだけ読めば、順調に歩んだように見えるけど、その実情はとても大変だったと想像できます。30歳すぎで営業を経験とありますが、現在、65歳なので、30年前のことなんですよね。
30年前といえば、私が社会人になったとき
その時代、やっと総合職に女性が採用されだした時代でした。昔は、総合職に一般職と区別されていて、総合職に女性がなることが超珍しい時代だったわけですよ。
今は、女性営業も多くいますが、昔は女性営業といえば生命保険のおばちゃんぐらいで、「私も営業やってみたいわー」ってホステス時代に言うと、「保険屋いけば」と小馬鹿にされながら鼻であしらわれるように言われる時代でもありました。
思い出してみれば、男尊女卑のクソな時代だったわ!結婚すれば、専業主婦の道を選ぶのが当たり前の時代だったしね。そんな時代を経て、副会長までなられた中島さんを尊敬します。
きっと中島さんからすれば、「置かれた場所で一生懸命やってきただけ」と言われそうですが、置かれた場所で一生懸命やることって、案外難しいことだったりすんですよね。
スポンサーリンク
向き不向きを考えるより、経験できることは何でもやってみよう!という心意気が未来を拓く。
鑑定で、長く専業主婦をしてた40代とか50代とかに「何に向いてますか?」とか聞かれることが多いんですが、手相から観てとれる向き不向きってのは確かにあるんですが、手相における向き不向きで、やってもないことの向き不向きを判断するにはモッタイナイので、一通りの説明しても、「受かったとこで働いてみてから判断すればいい」って言うことが多いです。
最近、就活前や就活中の大学生の方が鑑定に来られることもあり、20代の方にも向き不向きを聞かれますが、若い時こそ選ばずに、与えられた仕事をやってみればいいと思うんですよね。それこそ、「置かれた場所で一生懸命やってみろ」なんですよ。
やってみたことで、はじめて自分の得意を知ることがあるんです。私も、自分が営業に向いてるなんて全く全然これぽっちも思ってませんでしたが、誘われるままにやってみたら、これが向いていたんですねー。(・∀・)
今では、自分のことを「営業の天才」だと思ってるし、天から頂いたギフト(得意なこと)だとも思ってるけど、最初は誘われるままに乗ってみたってやつで、自分から進んで選んだわけじゃなかったんですよ。
15年やってきたサイト製作の仕事だって、他の人より少し得意だったからはじめたことだしね。案外、自分で向き不向きを決めるより、周囲や世間の波に乗ってみたほうが、自分でも思いもよらない才能を見つけたりするもんですよ。
アルバイトから社長になった人もいるし、中島さんのように副会長になった人もいるわけで、置かれた場所で一生懸命やって、社会で役立つ人になろうと向上心をもって努力していくことで、思いもよらない未来が拓くかもよ~。
ただし!ブラック企業からは、とっとと逃げること!今の時代、仕事なんて色々あるんだから、1つの会社に拘る必要もないですからねー。
スポンサーリンク