『おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きればいい』

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今日、樹木希林さんの葬儀でした。先日、NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」という特集番組をやっていたのを観ました。

余命宣告を受けながら、ひょうひょうと予定をこなしていく姿は、何というか人間をこえた存在のようにも思いました。樹木希林という唯一無二の存在が、たった75歳で居なくなるのは早すぎるとも思いました。

娘の也哉子さんの葬儀での弔辞が、物語を聞くかのような印象を受け、とても素晴らしかったので紹介します。

 また、樹木さんの死去後に、故人の書斎で見つけた手紙を紹介。1974年10月19日に裕也が英・ロンドンから樹木さんに宛てたエアメールだった。「今度は千帆(樹木さん)と一緒に来たいです。結婚一周年は、帰ってから2人きりで。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることは、よく自覚しています。メシ、この野郎、テメェ。でも、本当に心から愛しています」とやり取りを明かした。

也哉子は「勝手だけど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に私はしばし絶句してしまいました」と涙ぐんだ。「普段は手に負えない父の混沌と苦悩と純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、それを大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました。長年、私の心のどこかで許しがたかった父と母の在り方へのわだかまりがスーッと溶けていくのを感じたのです」と独特な家族関係への思いを語った。

 樹木さんが「私はよそから内田家に嫁いで、本木さんにも内田家を継いでもらって、みんなで一生懸命、内田家を支えてるけど、肝心の内田さんがいないのよね」と嘆いた言葉を回想。一方で、自身の唯一の親孝行として本木との結婚を挙げた。「時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して暴れる父を殴ってくれ、そして私以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。何でも明け透けな母とは対照的に少し体裁の過ぎる夫ですが、家長不在だった内田家に静かにずしりと存在してくれる光景は未だにシュール過ぎて、少し感動的でさえあります」と語った。

 樹木さんを亡くし、「絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索する時が来てしまいました。怖気(おじけ)づいている私は、いつか言われた母の言葉を必死で記憶からたぐり寄せます。『おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きればいい』。まだ、たくさんすべきことがありますが、ひとまず焦らず家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております」と心境を話した。

娘としての立場からの葛藤や両親への愛とリスペクト。旦那様である本木さんへの愛とリスペクトが、この弔辞に詰まっているように思いました。

両親は愛し合って自分が生まれ、死を分かつまでも愛があったということを実感できたなら、過去、どんな思いを抱えていたとしても、その全てを許せる気になりますよね。

また、葬儀後のもっくんのインタビューも素晴らしかったです。両親・夫・妻に対してリスペクトできるってのは、とてもとても素晴らしいことだし、ちょっと羨ましくも思いました。

『おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きればいい』のままに生きた樹木希林さんのご冥福をお祈りします。

私も、もっともっと自分を自分の人生を面白がって生きようと思います。

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